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シャルル1世 (ブルボン公) : ウィキペディア日本語版
シャルル1世 (ブルボン公)[しゃるる1せい]

シャルル1世(Charles Ier, 1401年 - 1456年12月4日)は、ブルボン公およびオーヴェルニュ公(在位:1434年 - 1456年)、クレルモン伯。公位を継承したのは父ジャン1世の死後であるが、ジャン1世は1415年アジャンクールの戦いで捕虜となったままロンドンで死去しており、実質的にはその間に既に所領の統治を行っている。母はベリー公ジャンの娘でオーヴェルニュ女公のマリー・ド・ベリーである。
百年戦争の間はフランス国王シャルル7世に対して忠実であり、1428年から始まったオルレアン包囲戦ではジャン・ド・デュノワラ・イルらと共にオルレアンの救援に赴いたが、1429年2月12日のニシンの戦い(en)で包囲側のイングランド軍輜重隊を叩こうとしてジョン・ファストルフen)に逆襲され敗北、デュノワらと対立して勝手にオルレアンから離脱した〔エチュヴェリー、P169 - P172、ペルヌー、P378 - P380、樋口、P107 - P108。〕。しかしシャルル7世に引き続き仕え、同年9月ではパリ攻撃に苦戦中のジャンヌ・ダルクに使者としてシャルル7世の攻撃中止命令を伝達、1430年コンピエーニュへ派遣されフランスからブルゴーニュへの引渡しを命じている(成功せず)〔ペルヌー、P150、P161、樋口、P120。〕。
1435年アラスへフランス・ブルゴーニュ講和会議の使者の1人として参加、アラスの和約を締結させた。しかし、シャルル7世とアルテュール・ド・リッシュモン大元帥が進める軍制改革と貴族への課税に反発、1440年にデュノワやアランソン公ジャン2世など他の貴族達と共にルイ王太子を擁立して反乱(プラグリーの乱)を起こし、リッシュモンに早期鎮圧され所領の一部を没収されている〔エチュヴェリー、P214 - P217、P242 - P245、樋口、P144 - P147、P154 - P157。〕。1456年に55歳で死去、長男のジャン2世が公位を継いだ。
== 子女 ==
1425年にブルゴーニュ公ジャン無畏公の娘アニェス1407年 - 1476年)と結婚した。2人の間には6男5女が生まれたが、ブルボン家嫡流の男系男子は息子の代で断絶することになる。
* ジャン2世1426年 - 1488年) - ブルボン公
* マリー(1428年 - 1448年) - ロレーヌ公ジャン2世の妃
* フィリップ(1430年 - 1440年
* シャルル2世1434年 - 1488年) - リヨン大司教、ブルボン公
* イザベル1436年 - 1465年) - 従兄であるブルゴーニュ公シャルルの2番目の妃
* ルイ(1438年 - 1482年) - リエージュ司教
* ピエール2世1438年 - 1503年) - ブルボン公
* マルグリット1439年 - 1483年) - サヴォイア公フィリッポ2世の最初の妃、ルイーズ・ド・サヴォワの母
* カトリーヌ1440年 - 1469年) - ゲルデルン公アドルフの妃
* ジャンヌ(1442年 - 1493年) - オランジュジャン2世・ド・シャロンの妃
* ジャック(1445年 - 1468年) - モンパンシエ伯

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルル1世 (ブルボン公)」の詳細全文を読む



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